HOFU ROTARY CLUB WEEKLY

 防府ロータリークラブ週報
NO.0434 2005年3月22日

プログラム
プログラム
 点 鐘
 ソング「手に手をつないで」
 会長挨拶
 ビジターご紹介
 クラブニュース
 各委員会報告
 ロータリー情報
 会員スピーチ
 「今日の子育て事情について」
       岩 城  満 君
 点 鐘

次週例会
◎次週例会 3月29日(火)
職場訪問例会
於 : 防府医師会

先週の例会
3月15日(火)
◎ビジターご芳名
 なし
◎出席委員会報告
 会員数63名 出席者49名 出席率77.78%
――― 欠席者―――
 大村君 菩提君 藤元君 喜多村君 阿部君
 竹内君 萩原君 松原(幸)君 柳君 嶋崎君
 杉山君 福森君 坪郷君 友景君
――― 事前メーキャップ―――
 土井君 羽嶋君 井藤君
 原(晴)君 田中(文)君………… (3/5I.M)
 中司君 平山君………………(3/7 防府北RC)
 澤田(光)君……………………(3/10防府南RC)
 石谷君…………………………(3/14防府北RC)

―― 3月8日修正出席率――85.48%

◎スマイルボックスご報告(親睦活動委員会)
・原 俊雄君・桜井慶助君・中村明人君
・林  靖君・神徳眞也君・東 佳範君
・小林慎之輔君
 野口様、ご入会おめでとうございます。
 今後よろしくお願いしますと共にロ
 ータリーライフを楽しんでください。

・倉員謙作君
 廣中さん、本日はオークションのお話しをし ていただきますが、どうぞよろしくお願い致 します。ご覧になっておわかりのようにITの こと、どうぞわかりやすいことばでお願い致
 します。期待致しております。

・木村正統君
 本日、3月15日をもって新田木村診療所を退 職いたします。在職中は大変お世話になりま した。ロータリーは続けますので今後もよろ しくお願いいたします。尚、退職に伴い携帯 電話が変わりますので変更をお願いし
 ます。

・脇 正典君
 所用につき、早退します。



クラブニュース
◎ 3月27日(日)、下関グランドホテルにて、  2005〜06年度、会長エレクト地区研修セミナ ーが開催されます。
◎ 松本ガバナー事務所より2006〜08年度、世 界平和奨学金候補者推薦依頼が参りました。
◎ 3月15日(火)18時30分より、道重さん、野口 さんの新会員歓迎会が開催されました。
◎ 本日例会終了後、3月度理事会を開催しま  す。

他クラブニュース
他クラブニュース
◎例会変更通知
防府南RC 3月24日(木) 
       職場訪問例会に変更
山口南RC 3月25日(金) 
清掃奉仕に変更

寄稿文
    寝台特急あさかぜの思い出
     
           東   佳  範
 
 2月末日で寝台特急「あさかぜ」が引退した。
 個人的にはとても思い入れのある列車だった。 
 当時列車は黒か茶色であり、緑とオレンジの湘南電車はまだ山陽本線に配属されておらず、「あさかぜ」の鮮やかなブルーの車体は鮮烈な印象を残した。初めて乗ったのは小学校の時で祖母と一緒にたしか広島、三田尻間をなぜか帰りのみ乗った記憶がある。その時の思い出はきれいな車内と車内販売で岡山名産のマスカットを売っていたことである。当時の高級果実のマスカットと新型特急の組み合わせが印象を強めたのだろう。その後は夏休みのラジオ体操の後に必ず越線橋の上からブルートレインを見たものだった。

 たしか踏切の前の散髪屋に行った時、電車が来るたびに散髪を中断して電車を見に行ったこともあった。その後私は列車の時刻表マニアになったのである。
 
 仕事で東京に上京する時は「富士」であった
がよくブルートレインを利用した。寝台車は寝
られないと言われる方がいるが、私にとっては
心地よい旅であった。朝見る富士山は最高であ
った。3年前になるが東京に家族旅行をしたこと
があるがブルートレイン「富士」に乗った。今
思えば良い企画であった。
 「あさかぜ」に対する思いはもう一つある。昭和30年代半ばに「あさかぜ」は運転開始したのであるが、その開発時から弊社は関係していた。

 当時の客車は鉄と木材で出来ており、かなりの重量があった。それをアルミを使用した近代的な客車を国鉄が開発し、その製作を下松にある日立製作所笠戸工場も受け持ったのである。通常アルミは表面処理をしてアルマイトとして使用する。そのアルマイト加工を弊社が担当したのである。
 
 「あさかぜ」のお披露目運転は下松、下関間で
当時の橋本知事を乗せて行われた。弊社はその
当時の工場が山陽本線沿いに有り、工場の前で「あさかぜ」が1時間停車して従業員が車内見学をしたという話しが伝わっている。信じがたい話であるが古参の社員の話である。
 
 車両の軽量化の話には続きがあり、この成功
をもとに先代社長は自動車の軽量化という提案
を持って東洋工業(現マツダ)に行った。当時
東洋工業は三輪車を作っており、四輪車の開発
を進めていた。その中に弊社は参画して東洋工
業初の四輪車Rクーペが出来たのである。アルミ
はキャップ、モール、ドアノブ等に使用してあり、現在のエンジンや構造体の一部のような使い方ではなかった。福山の自動車時計博物館にRクーペがあり、それに弊社のアルミ部品がたくさん使用されており感激したことがあった。
 日立との「あさかぜ」のアルミ部品の開発は
マツダの自動車、NECの半導体につながり、今日の中国電化工業株式会社が出来たのである。




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