プログラム |
職業奉仕・米山月間 プログラム 点 鐘 国歌斉唱 ソング「奉仕の理想」 会長挨拶 ビジターご紹介 誕生祝い ソング「ハッピー・バースディ」 クラブニュース 各委員会報告 ロータリー情報 クラブフォーラム 「職業奉仕・米山月間にちなんで」 点鐘 |
次週例会 |
◎次週例会 10月11日(火) 優良従業員表彰 会員スピーチ 野 口 貞 夫 君 |
先週の例会 |
先週の例会9月27日(火) ◎ビジターご芳名 原田昌一君(防府南RC) ◎出席委員会報告 会員数61名 出席者50名 出席率83.61% ――― 欠席者――― 土井君 西本君 今村君 道重君 杉山 君 木村君 友景君 井藤君 村重君 田中(文)君
――― 事前メーキャップ――― 近藤君……………………(9/14 RCC例会)
――― 9月20日修正出席率―――85.25% 福森君…………………(9/22 防府南RC)
――― 9月13日最終修正出席率――88.52%
◎スマイルボックスご報告 (親睦活動委員会) ・原田昌一君(防府南RC) 久方ぶりにメーキャップに参りました。 親元に帰って来た気分で嬉しいです。
・林 靖会長・坪郷 康君 ・中村明人君・野口貞夫君 福田さん、今日はゲストスピーチ、ど うぞよろしくお願い致します。一生懸 命、聴かせていただきます。
・光谷 博君 息子、和浩が9月25日防府天満宮にて結婚 式を、当・シャンピアホテルで披露宴を 行いました。南園RI理事御夫婦、林会長 他関係者の方に心から感謝申し上げま す。今後共よろしくお願い申し上げま す。
・中村健治君 世良廣治君 9月25日大安吉日。光谷君、御令息のご 結婚おめでとうございます。友人とし て華燭の宴に出席させて頂きました。 光谷家の弥栄え、お祝いします。
|
|
クラブニュース |
◎ お誕生日おめでとうございます。 土井君(3日) 今村君(9日) 澤田(光)君 (10日) 林君(14日) 宮田君(15日) 世良君(20日) 金田君(24日) 山根夫人 (11日) 益田夫人(15日) 鈴木夫人(28 日) ◎防府ロータリークラブ創立50周年記念式 典の実行委員長に松本 和君が決定しま した。 ◎RI第2710地区G3のガバナー補佐に廣政 寛君を当クラブより推薦致しました。 ◎青少年交換留学生として誠英高等学校一 年、原 千晴さんを推薦しました。 ◎小野田ロータリークラブより第24回全国 ロータリークラブ野球大会地区予選・山 口県大会のご案内が参りました。 【10月例会プログラム】 第1例会 10月4 日 クラブフォーラム (職業奉仕及び米山月間にちなんで) 第2例会 10月11日 優秀従業員表彰 会員スピーチ 野口貞夫君 第3例会 10月18日 ゲストスピーチ 県立防府養護学校教諭大石文男様 第4例会 10月25日 地区大会報告 会員スピーチ 道重衛君 【審議事項】 1. 10月度例会プログラムに関する件 2. 50周年大会実行委員長に関する件 3. ガバナー補佐に関する件 4. 青少年交換留学生に関する件 5. その他
本日のランチは、奨学生のための特別献立です。親睦活動委員会 |
他クラブニュース |
◎例会変更通知 山口県央RC 10月11日(火) 職場訪問例会に変更 |
寄稿文 |
昔の話 近 藤 宏 一 1957年は防府RCが創立された昭和32年である。
田布施出身の岸信介氏が総理大臣に就任されたのもこの年である。そして3年後の昭和35年には防府JCが設立されたが、岸総理は日米安保改定という大仕事を終えて引退、後任は広島県の池田勇人首相が就任、いわゆる所得倍増計画なるものを打出し日本経済は高度成長期に突入したのである。(宮澤喜一経済企画庁長官.当時42歳)
防府RCも当時は創立後の成長期で、あすなろの原点もこの頃に始っているし昭和37年には防府商業高校にインターアクトが結成されている。 その後、昭和38年は山口県で国体が行われ、翌39年には東京オリンピックへと続くが、この年、池田首相の喉が前ガン症状とかでおかしくなり引退、佐藤栄作総理大臣が就任し、長期政権の事始めに「韓国が朝鮮半島を代表する唯一の合法的政府である」との認識のもとに日韓条約を締結し国交が回復した。 昭和39年には防府JCは創立5周年を迎え記念式典を公会堂で行ったが、記念講演の講師は毎週日曜日にNHKで現在も放映されている政治討論会の当時の司会者唐島基智三氏であった。 その式典前日、中共が原爆実験を行ったのである。記念講演でもその重大性に触れられたが、最近のイランや北朝鮮の核開発問題を巡る六カ国協議などを見ていると、40年前の中共の核実験の際は中共が国連の常任理事国だったせいか別に国際問題にもならず、ただ驚くばかりだっただけに、この間の時代変遷を感じるとともに、共産主義は、最終的には結局武力・軍事力に頼 る一面を垣間見るのである。 国家態勢(共産主義)など考えると現在の平和な日本人の常識(民主主義)では考えられない危うさを持っているように思えてならない。 戦後10年経って、もはや戦後ではないと言われ、いわゆる55年体制というものが出来、20年経って国際化という言葉がやっと世に出た頃の昔話である。 その後さらに40年経ち、最近は歴史がスピードアップしているように感じる今日この頃であるが、10年後、20年後の日本を取りまく状況は一体どうなるのであろうか。 |
|