HOFU ROTARY CLUB WEEKLY

 防府ロータリークラブ週報
NO.0625 2007年1月16日

プログラム
 ロータリー理解推進月間
 点 鐘
 ソング「それでこそロータリー」
 会長挨拶
 ビジターご紹介
 クラブニュース
 各委員会報告
 年男の弁
 ロータリー情報
 「ロータリー理解推進月間」
         にちなんで 
 点鐘

次週例会
◎次週例会 1月23日(火)
   ゲストスピーチ
    (社)防府青年会議所
      理事長 田 中 康 一 様

先週の例会
先週の例会 1月9日(火)  

◎出席委員会報告
 会員数58名 出席者49名 出席率84.71%

――― 欠席者―――
 中原君、澤田(光)君、村重君、飛田君、
 喜多村君、杉山君、友景君、木村君

――― 事前メーキャップ―――
 林君、田中(文)君……(12/28 防府南RC)

――― 12月19日修正出席率―――94.74%
 平山君、林君……(12/21 防府南 RC)

―― 12月12日最終修正出席率――91.23%
 渋谷君、柳君、友景君・澤田(健)君
  ………………(12/21 防府南RC)

◎スマイルボックスご報告
        (親睦活動委員会)
・松本 和君
 御題小謡を謡わさせていただきます。

・土井英徳君
 あけましておめでとうございます。
 年男の弁で一言です。皆様方にはよい年 であります様お祈りいたします。

・広政 寛君
 今年は年男です。一年間よろしくお願い します。

・林  靖君
 昨年暮の家内の葬儀に際しましてはご丁 重なご弔意を賜り厚くお礼申しあげま  す。長い斗病生活でしたが、病院の先
 生方を始め多くの方々のおかげ静に永眠 することが出来ました。感謝しておりま す。
 ありがとうございました。

・水津信之君
 柳勝紀さん、年末は野菜を頂き有難うご ざいます。患者様とおいしく頂きまし  た。又、年始には牛乳のお年玉を有難
 うございました。年末も期待しておりま す。

・原 晴一郎君 
 我娘が本年成人式を迎えました。
 本当に可愛いい娘です(親バカです。)悪 い虫が付かないよう祈っている今日この 頃です。

・倉員謙作君
 あけましておめでとうございます。
 先輩につづき年男でございます。どうぞ 宜敷くお願いいたします。

・野口貞夫君
 この正月は、新年の御挨拶ができません でした。お許し下さい。昨年は竹林整備 ボランティア活動、お世話になり、有難 うございました。皆さんの益々の御健
 勝を祈念し、新年の御挨拶と致します。
 ありがとうございました。

・中谷 泰君
 河村高志君入会おめでとうございます。 もうひとつの委員会は、50周年記念ゴル フ委員会に配属となりました。山ほど仕 事が待っています。乞うご期待。

・東 佳範君・羽嶋秀一君・中谷 泰君
・澤田健規君・田辺栄一君・西本真一君
・久保浩通君・入江弘幸君・中司達美君
・田中信治君・中村明人君・渋谷 正君
 河村高志様、入会おめでとうございま  す。
 今後の活躍を期待すると共にゴルフ、釣 り、国際語学活動、合唱部隊のご入会誠 に有難うございます。


クラブニュース
◎1月15日創立50周年記念ゴルフ委員会の
 3回目の委員会が開催されました。
◎創立50周年実行委員会の2回目の委員会が 1月16日に開催されます。
◎ガバナー事務所より拉致被害者家族支援 募金のお願い。
 RI第2560地区(新潟)より要請があり、 ロータリアン一人百円募金のお願いで  す。

他クラブニュース
◎例会変更通知
  山口県央RC 1月23日(火)
     ワイン例会に変更

寄稿文
      古里礼讃
      
               広政 寛
 
 72才、ロータリー歴20年、ここまで来るとロータリーの表層的なうねりの下に不気味な思いを抱くようになる。
 というのは本年、2710地区3グループのガバナー補佐として県内のグループの方々にお会いして2〜3実感したことがある。
 私は防府に生まれ、防府に育った生粋の防府っ子である。時あたかも市町村合併の気運高まり我が防府市も山口市と合併協議が進んだ。結果は昨年市長選で決着したように見える。
 実は地政学上では地域の生活圏はすべて河を基盤にして成り立っている。佐波川は防府の母なる河である。山口市は椹野川流域に拡がる。
隣接した地域が合併して広域的なサービスを合理的に活用すること自体は市民の負担の軽減となり大義が成り立つ。しかし、歴史の大義は権力の取引によって作られて来た。企業のM&Aと全く同じだ。経済的に強いものがもっと強くなることによって社会が豊かになるという論理だ。
 我が防府人は「先づ獣身を成して後に人心を養え」ということだ。足早に一途に思いを通そうとすると奇妙な薄笑いに出くわす。


     

       私の70年
 
     
              土井 英徳

 昭和10年に宇部新川で生誕し、建設業をしていた親父の関係で、方々に転居しました。
 昭和13年は湯田温泉の道路工事、昭和14年は徳地の出合橋工事、昭和15年には身内のいない中国大陸に渡り、大洋漁業の倉庫建築(レンガ造り)や軍の工事を施工してた様です。
 上海・天津・北京と汽車旅行したり、黄砂嵐しのすごさも子供ながら記憶に残っています。 勿論家では中国人のボーイを雇っていました。
 5才の私は近所の中国人の家庭に遊びに行ってた関係上、中国語の上達は早く、日常の会話はほとんど出来て通訳者の役目をしていたようです。
 私には楽しい生活でした。中国のオバさんは中国語で「タニョー」と言いまして、行くたびに饅頭(マントー)をもらっていました。
 さて、親父は軍の仕事をしている間、本能的に戦争勃発の危機を感じたと思います。突如帰国することになり、昭和16年春に無事帰国し、大平洋戦争は勃発、敗戦を日本国で過ごし、現在があります。
 人生の運・不運は紙一重だと思っています。




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