HOFU ROTARY CLUB WEEKLY

 防府ロータリークラブ週報
NO.0714 2007年10月9日

プログラム
職業奉仕・米山月間
点鐘
ソング「我等の生業」
会長挨拶
ゲスト及びビジターご紹介
クラブニュース
各委員会報告
ロータリー情報
ゲストスピーチ
 「日本の明日を考える
  〜教育の歪みが招いたもの〜」
  吉岡総合事務所
  (元・山口県警刑事部長)
    代表 吉 岡 敬 祐 様
点鐘

次週例会
◎次週例会 10月16日(火)
      地区大会報告

先週の例会
週の例会 10月2日(火)
◎出席委員会報告
 会員数60名 出席者54名 出席率90.00%

――― 欠席者―――
 加藤君 藤本君 木村君 原(晴)君 
 杉山君 竹田君

――― 事前メーキャップ―――
 岩城君……………(9/18 徳山西RC)
 泉君……………………(9/27 防府南RC)

――― 9月25日修正出席率―――86.67%

 ―― 9月18日最終修正出席率――91.67%
 久保君………………(9/27 防府南RC)


◎スマイルボックスご報告
          (親睦活動委員会)
 
・近藤宏一君
 10月25日、年輩者11名で中秋の明月を見
 る会を開きました。その時の残金をスマ
 イルします。

・澤田光穂君
 昨日、社長交代式を行いました。36年3ヶ
 月の在任でしたが、今後も会長として、
 今しばらく頑張ります。多年に亘る諸兄
 のご指導に心から感謝申し上げますと共 に、後任の健規社長をよろしくお願い申 し上げます。

・澤田健規君
 この度、当社社長に就任いたしました。
 身の引き締まる思いと「やってやろ   う!」
 という気概で一杯です。個人目標を「自 力」企業目標を「三方良しの経営」と  し、前社長の「健康なくして人生なし」 を継承しながら勤めて参ります。会員の 皆様には、今まで以上にご指導、ご鞭撻 のほどよろしくお願い申し上げます。

・中村明人君 松原博幸君 櫻井宏明君
 羽嶋秀一君 村重浩三君 河村 志君
 中司達美君 田邊栄二君 片岡謙一君
 澤田健規さん社長就任おめでとうござい
 ます。澤田光穂さん会長就任誠におめで
 とうございます。今後、益々の発展を祈
 っております。

・生田三郎君
 先週はお耳障りな会員スピーチで失礼し
 ました。今月は誕生月ですが、来年きち
 んと還暦を迎えることが出来ますよう、
 諸先輩方を見習いながら少し精進を心が
 けたいと思っております。片岡さん、今
 日のスピーチ頑張ってください。

・大村俊雄君
 あのコスモビルに久々に新店舗が開店い
 たしました。「鉄板・串焼かんちゃん」
 です。私の身内が店主です。RCメンバー
 には特別なサービスをするよう申しつけ
 ています。ビール無料券を配布させてい
 ただきました。ぜひのご来店を!

・片岡謙一君
 本日は会員スピーチをさせていただきま す。どうぞよろしくお願いします。

・久保浩通君・羽嶋秀一君・中谷 泰君
・中司達美君・河村 志君・村重浩三君
・櫻井宏明君・田邊栄二君・入江弘幸君
・加藤 稔君
 本日は、片岡さんのスピーチという事で
 一ヶ月前から楽しみにしておりました。
 天下の東工大卒業生として、気品があり
 格調高いスピーチを期待しております。


クラブニュース
○ 諏訪昭登ガバナーエレクト事務所より、 2008 〜09年度ガバナー補佐の任命につ いてのご報 告が参りました。
2008−09年度ガバナー補佐氏名 (敬称略)
    グループ1 福田美治 (油谷湾)
    グループ2 薦田 信 (宇部東)
    グループ3 脇 正典 (防府)
    グループ4 西尾正嗣 (徳山)
    グループ5 田村泰三 (柳井)
    グループ6 大旗 健 (広島陵北)
    グループ7 田原榮一 (広島中央)
    グループ8 榎 賢志 (東広島)
    グループ9 松本邦雄 (広島空港)
    グループ10 本瓦誠志 (鞆の浦)
    グループ11 品川晃二 (松永)
    グループ12 渡辺恭信 (庄原)

他クラブニュース
例会変更通知
  山口RC 10月24日(水)職場例会に変更

寄稿文
        魔球王
 
            東  佳 範

 私は野球が好きである。私が子どもの頃は野球しかなく、朝のラジオ体操の時に道具を持って行ってよくやったこともある。
 プロ野球も好きである。小学4年生の頃野球ゲームを考案してよくやったものだ。さいころを2個使い目の組み合わせでその
打席の結果が決まる物だ。例えば3ー4の目が出たら三振である。
乱打戦と貧打戦の2種類があった。セリーグ、パリーグで総当りしての1シーズンである。5シーズン位3年間でやった気がする。
 これをやっていてよく母から怒られた記憶がある。不思議なことに贔屓のチームが勝っていた。賽の目はある程度は自分で
コントロール出来ると思う。
 5年生の時は巨人ファンだった。そのときの担任が贔屓のチームをクラス全員に聞いた時、私は巨人と阪急に手を上げた。
 阪急に手を上げた者は私一人であった。口の悪いクラスメートに本当に阪急を知っているのかと言われた。あの頃の阪
急のメンバーは衆木、山口、石井晶、スペンサー、早瀬、ウィンディ、米田、梶本兄、石井茂、足立と弱かったけど凄いメンバーがいた。石井茂のサイドスローはかっこよかった。6年の時にはす
でにアンチ巨人になっていた。昭和50年まで阪急、近鉄、ヤクルト、広島の弱小チームのファンだった。
 昭和50年は赤ヘルカープの初優勝であったが夏までヤクルトを応援していた記憶がある。以来カープのファンである。
 ただ私の背番号はずっと14番、小学校のとき白い野球帽の左側に背番号を入れるのがはやったが私は14番を入れていた。
幻の巨人軍エース沢村栄治の背番号である。私は隠れ巨人ファンかもしれない。
 あの頃は野球マンガの全盛時代であった。それも今と違い主人公は魔球を投げていた。この手のマンガの走りは「くりくり
投手」だったと思う。ドロッカーブという一端落ちて曲がる球を投げていた。以来「ちかいの魔球」「黒の秘密兵器」「巨人の星」「サムライジャイアンツ」「アストロ球団」等々に続くのである。
 高校生の時同級生のN君に「クロスファイアーって知ってるか」と聞いたら「マンガの魔球の事じゃないか」と言っていた。
 ところで今、花形満を主人公にした「新約 巨人の星 花形満」を少年マガジンで連載している。今風のジャニーズ系花
形である。
 キャッチボールは良くやった。相手は父、弟、友人、壁であった。自分で魔球を投げたいとは思わなかったが、あらゆる変化球に挑戦したのが中学生の時だった。その中で完全にマスターしたのが横に大きく曲がるカーブとナックルボールである。た
てに落ちるカーブも出来たけど、サイドスローになったので投げられなくなった。フォークも投げたけどナックルほど確実に落ちてくれなかった。どんなに良い変化球を持っていても良いストレートがなければダメだと気が付いたのは随分あとのことだった。私は結構肩が強かった。中学校の時の体育は2クラス合同だったが、ソフトボール投げは3位か4位で野球部のK君と1m違い
であった。
 私のナックルは二本指を曲げ、直球を投げるイメージでスナップを効かせて投げればいい。ホームベースの前でストンと落
ちる。大学の時に友人のM君にナックルを教えた。小柄だが運動神経抜群の彼の直球はおそらく120kmを優に越していたと
思う。球が来たと思ったらミットに入っていた。その彼がナックルをマスターし、受けている時、直球でないなと思ったとたん変化しミットの土手に当り取れなかった。彼は卒業して会社のチームに入ってピッチャーをするわけだが、残念ながらナックルの投げ方を忘れてしまい、私が同時に教えた、たてに落ちるカーブ三振の山を築いたそうである。
 私は思う。我エースがこのナックルボールをマスターしたらどんなに良いか、次期エースはサイドスローだから横に大きく曲がるカーブがあったら良いかなと。年寄りの愚痴みたいな物である。
 最後に私のピッチャーとしての生涯成績は登板数2試合、投球回数1回1/3失点0である。なお亡くなった父に言わすと「おまえの球は素直」であるそうだ。




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