HOFU ROTARY CLUB WEEKLY

 防府ロータリークラブ週報
NO.0915 2009年11月10日

プログラム
ロータリー財団月間
点鐘
ソング「我等の生業」
会長挨拶
ゲスト及びビジターご紹介
べネファクター認証状授与式
    渋 谷  正 君
誕生祝い
ソング「ハッピーバスディ」
クラブニュース
各委員会報告
ロータリー情報
ゲストスピーチ
「防府にある日本一」
  ほうふ日報 
  代表取締役 窪田耕二様
点鐘

次週例会
◎次週例会 11月17 日(火) 
ゲストスピーチ
 米山奨学生
 王  珮 瑜 さん

先週の例会
◎ビジターご芳名
 先々週の例会10月27日(火)

 河野藤丸君 石田一雄君 岩城精二君
            (山口県央RC)
 宮本雄次君 原田昌一君 木下 勝君
 山本一成君 馬場龍美君 濱 敏幸君
 門田晴善君 岡田嘉展君 吉松哲夫君
 安藤二郎君 森高英城君 上妻弘和君
 吉野紀生君 山本 功君 田島幸男君
 三好小夜子君 礒野晶則君(防府南RC)
 河辺智之君 高橋裕延君 (防府北RC)

◎出席委員会報告
 会員数 62名(内・免除会員2名) 
 出席者 47名  出席率 78.33%
――― 欠席者―――
 北川君 村重君 桝野君 田中(信)君  竹田君 脇君 鈴木君 金田君 井藤君 杉山君 尾 君 友景君 藤本君

――― 事前メーキャップ―――
 岡本君…………………(10/22 防府南RC)

―― 10月20日修正出席率―― 95.00%


―― 10月13日最終修正出席率―― 98.33%

◎スマイルボックスご報告
  (親睦活動委員会)  
・廣政 寛君
 国分寺福山住職、本日はお世話になりま す。

・井藤憲彰君
 国分寺様での職場訪問例会、出席の予定 でしたが急遽、博多に行くことになり残 念です。

・田中信治君
 10月24日(土)、長女・奈保美(なほみ)が 沖縄で結婚式を挙げました。防府ロータ リークラブ・野球部より祝電を頂きあり がとうございました。
 姓が田中から與那覇(よなは)に代わ
 り寂しさを感じております。


クラブニュース
◎お誕生日おめでとうございます。
 会員 尾田君(8日) 光谷君(14日)
    原(晴)君(26日)
 ご夫人 近藤夫人(15日) 
     中村夫人(19日)
     井藤夫人(28日)
◎11月1日(日)、秋の里山協働整備作業が実 施されました。
◎11月4日(水)、桑華苑にて親睦活動委員会 の情報集会(新会員歓迎会)が開催されま した。
◎11月6日(金)、防府ユネスコ協会創立60周 年記念式典に渋谷会長が出席されまし  た。
◎本日例会終了後、第1回CLP委員会を開催 いたします。


他クラブニュース
◎例会変更通知
  防府南RC 11月26日(木)
定款第6条第1節により休会

  

寄稿文
  離れて分かる物のよさ(その1)
      
        アパホテル<山口防府>
          今  井   進
 
 7月に入会させて頂きありがとう御座います。
 あっという間に3ヶ月が過ぎ、先日の集中豪雨時の被災地へのボランティア活動等ロータリークラブの奉仕の心を心身ともに体験させて頂き、感動している所であります。
 私のふるさと北海道当麻町、札幌を書かせて頂き、みなさんの町、防府をより魅力一杯の町にして頂きたく、そんな思いで書かせて頂きます。まだ防府に赴任し半年足らず、防府の事を殆ど知らない状態です。ふるさとをうまく書き、表現できるか分かりませんが、正直に思う、感じを故郷(父、
母)に浸りながら書かせて頂きます。
 私は、いまから60年前に北海道のほぼ中央の、みなさんよくご存知の旭山動物園から車で北へ約15分に位置する上川郡当麻町(当時は当麻村)に生まれました。当麻町って知らないと思いますが殆ど農業1本の町、真っ黒いでんすけすいかでも有名な所です。目の回りや鼻の頭を黒く塗ったユーモラスな姿で話題を集め、舞台名「デン助」
で人気のあった喜劇俳優、故・大宮敏光さんにあやかり、だれにでも親しまれるようにと考え『でんすけすいか』と命名。また、水田の減反政策が進む中、米に代わり田を助ける転作物「田助」という意味も込められた様であります。
 北海道の屋根、大雪山連峰の最高峰旭岳
(2,291m)のふもとにある小さな町です。その麓から見上げる旭岳は、天の上にそびえる雄大な男らしい山です。自然の豊かさは他に類を見ないものと確信する所である。
 家は、祖父母、父母、祖母の姪、1歳上の姉と私の7人暮らしでした。祖父母と母は、戦後樺太からの引き上げ者で、当麻の引き上げ者住宅に住を構え祖父の行商にて生計を立てていた様である。
 私が生まれ間も無く父が他界、その数ヶ月後、姉が他界し母の心中は計り知れない悲しみのどん底であったと思う。その後、母は私を連れて再婚し、第二のふるさと札幌に移り住む様になりました。昭和32年、妹が生まれ母は、姉の生まれ変わりと思った事と思う。ちなみに私は、実父、姉
の顔は、知らないままである。
 60年間の歩みのなかでの大事な記憶として幼い頃、いのちの重みを身近に心に刻みながら暮らして来たと思う。50年位前までは、人が生まれるのも、死ぬのも、ほとんど自宅で、赤ちゃんが生まれるのも近くで見ていたし、死ぬのもそばで見ていた。年寄りが死ぬ時も、生きている時は様々
な愛情もあれば憎しみもあり、地域で共に生きてきた人が近くで死んでいく。みんな心配し、死の重みを感じ、そして亡くなると、焼き場、火葬場、そこから立ち上る煙臭いと、そういう暮らしがあった。人間が生まれてから死ぬまでを地域のなかでしっかり見て、いのちの重みを心に刻みながら
暮らす、そのことはこれからも大切にしなければならないことだと思う。
             (次週に続く)




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