HOFU ROTARY CLUB WEEKLY

 防府ロータリークラブ週報
NO.1017 2010年11月2日

プログラム
点鐘
国歌「君が代」斉唱
ソング「奉仕の理想」
会長挨拶
ゲスト及びビジターご紹介
新会員入会式
誕生祝い
ソング「ハッピー・バースディ」
クラブニュース
各委員会報告
ロータリー情報
クラブフォーラム
「ロータリー財団月間に因んで」
      ロータリー財団委員会
点鐘

次週例会
◎次週例会 11月9日(火)
  ゲストスピーチ
    「まちの駅 うめてらす」
      まちの駅うめてらす
          駅長 岡  俊明 様

先週の例会
◎ビジターご芳名
 なし
◎出席委員会報告
  会員数 62名 (内免除会員2名)
  出席者 53名 出席率 85.48%
――― 欠席者 ―――
 岩城君 浴永君 澤田(健)君 杉山君
 鈴木君 長島君 藤田君 桝野君 脇君
――― 事前メーキャップ ―――
 林君…………………(10/12 山口中央RC)
 久保君…………………(10/20 山口RC)
―― 10月19日修正出席率 ――90.32%
 大村君 河村君 友景君 橋本君 村重君…………………(10/20 山口RC)
―― 10月12日最終修正出席率 ――95.16% 
 阿部君 鈴木君…………(10/20 山口RC)
 岡本君…………………(10/21 防府南RC)

◎スマイルボックスご報告(親睦活動委員
 会)
・羽嶋秀一君
  23日24日で右田まつりを開催しました。24日は雨でしたが多くの皆様にご来場頂きました。ご来場者、協賛頂いた皆様に感謝、感謝の二日間でした。ありがとうございました。
・山根耕太郎君・岡本眞次郎君・尾?陽一君
・久保田健介君・櫻井宏明君・河村?志君
  木野さん、「若年職員の教育について」とのテーマですが、我々も大いに参考にしたいと思います。よろしくお願いします。


クラブニュース

 ◎ お誕生日おめでとうございます。
 会 員 光谷君(14日) 原(晴)君(26日)
 ご夫人 近藤夫人(15日)   中村夫人(19日)    井藤夫人(28日)
◎国際ロータリー日本事務局より2010年11月のロータリーレートは、1ドル82円と連絡がありました。(現行は1ドル=86円)
◎ 新会員ご紹介 
氏  名 山本昌信(やまもとまさのぶ)君
生年月日 昭和31年9月29日
職  業 山口銀行防府支店 支店長
住  所 防府市駅南町10番1号
職業分類 地方銀行
所  属 親睦活動委員会
カウンセラー 喜多村 誠君

他クラブニュース
◎例会変更通知
  山口県央RC 11月2日(火)は
3日秋の家族会に変更

寄稿文
三船殉難事件について
            原  俊 雄
 北海道利尻・礼文への旅の途中、北海道西岸留萌でたまたま見た碑文で知った悲惨な事件に私は衝撃を受けました。今から65年前、昭和20年8月15日、大東亜戦争終結7日後の8月22日に起きた事件です。
 この日、泰東丸、第二新興丸、小笠原丸の三船は戦乱の樺太(サハリン)から緊急引揚げの老幼婦女子乗組員5082名を乗せて波穏やかな北海道西岸の留萌沖に差し掛かった時、突如旧ソ連軍の潜水艦による雷砲撃を受け、瞬時にしてその尊い生命が海の藻屑となりました。
 まして、貨物船 泰東丸(880トン)は婦女子を乗せ武装もしてない為、戦時国際法による白旗を揚げていたにも拘わらず、これを無視され浮上した国籍不明潜水艦の砲撃で沈没、乗客・乗組員780名のうち667名が亡くなられた。
 第二新興丸は特設砲艦として宗谷海峡にて機雷敷設に当っていた為12センチ砲二門、25ミリ機関銃を持っており、魚雷攻撃により大破されたものの、浮上した潜水艦二隻に応戦し損害を与え、後で大量の油の浮上を認めた。
 L19潜水艦は礼文島沖からの通信後、行方不明となり宗谷海峡で沈没したとされた。一方、L12潜水艦乗組員は帰国後英雄とされた。
 小笠原丸は大泊から1500名を乗せ稚内に運び、更に700名を乗せ小樽に運ぶ途中の8月22日早暁、潜水艦の雷撃により撃沈された。死亡638名、生存者61名であった。
 碑文に曰く、「留別の樺太を脱出して数刻、夢に見た故郷を目睫にして惨禍に遭う、悲惨の極みなり。星霜ここに三十幾余年、我等同胞慟哭の海に向い霊安からん事を祈りここに碑を建てり」と昭和58年設立の碑文にあります。
 当時のソ連海軍の記録から旧ソ連太平洋艦隊、第一潜水艦隊所属のL19、L12の二隻の潜水艦が留萌沖の海上で作戦行動をしていた事が判明しており、当時、ソ連は樺太に続いて北海道北部を占領する為、狙撃二個師団を留萌へ上陸させる計画を立てていたとのことです。
 最近のロシアの動きは北方四島問題解決を益々困難にしており、昭和一桁世代の私は、その碑文から受けた衝撃をその傍らに立つニシン御殿の壮大さと共に、北海道旅行の忘れ得ない記憶として改めて思い起こしました。




[ 戻る ]