プログラム |
点鐘 ソング「我等の生業」 会長挨拶 ゲスト及びビジターご紹介 クラブニュース 各委員会報告 ゲスト スピーチ 「防府市の野犬対策」 山口健康福祉センター 防府支所長 中 尾 建 生 様 点鐘 |
次週例会 |
◎次週例会 2月15日(火) ゲストスピーチ 元・青年海外協力隊 松 浦 和 子 様 |
先週の例会 |
先週の例会2月1日(火) ◎ビジターご芳名 なし ◎出席委員会報告 会員数 63名 出席者 55名 出席率 87.30% ――― 欠席者 ――― 尾?君 河村君 木野君 櫻井君 渋谷君 福森君 桝野君 光谷君 ――― 事前メーキャップ ――― 久保君 入江君 久保田君 村重君 ………………(1/27 防府南RC) 原(晴)君 藤本君 柳君 ………………(1/31 防府北RC) ―― 1月25日修正出席率 ――98.41% 加藤君 櫻井君 竹田君 橋本君 原(晴)君 柳君 ………………(1/27 防府南RC) 阿部君 大村君 河村君 木野君 杉山君 藤田君………(1/31 防府北RC) ―― 1月18日最終修正出席率 ――100% 東君 阿部君 河村君 木野君 杉山君 友景君 中村君 野口君 弘中君 藤本君 山根(耕)君……………(1/27 防府南RC) ◎スマイルボックスご報告(親睦活動委員 会) ・杉山知行君 孫が無事生まれました。ありがとうございました。 ・倉員謙作君・片岡謙一君 池永さん、本日は卓話期待しております。身体をはった国際交流のお手本をお示し下さい |
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クラブニュース |
◎ロータリー創立106周年記念3クラブ合同例会 (防府北ロータリークラブ引受)は、 2月21日(月) 防府グランドホテルにて 18:30より開催され、 翌22日(火)の例会は休会となります。 ◎防府北ロータリークラブより会長、幹事宛 に 創立30周年記念式典の案内が参りまし た。 日時 平成23年4月3日(日) 17時〜 場所 防府グランドホテル ◎里山保全 春の合同整備作業は、3月6日(日) 天神山にて実施されます。 日時 3月6日(日) 9時〜12時(雨天中止) 集合場所 天満宮駐車場 しだれ桜近辺 |
寄稿文 |
多々良山随想(その2) 近 藤 宏 一 (前号に続く) 佐波川を挟み田圃が多いので右田地区と呼ばれるのに対し、畑が多いので昔は畑地区と呼ばれ、人丸神社も以前は畑山神社と呼称されていたが、約220年ほど前に宮市前小路で大火のあと人丸神社と改称されたと言われています。「賎が家の かきのもとまで 燃えきても高津といえば すぐに火とまる」 の歌で有名な島根県益田・高津の柿本人麻呂を祀る人丸神社の分霊を宮市の人たちも一緒に歓請したものと言い、宮市の鬼門に当たる畑地区に火難除けのために祀られたと伝えられ、見晴らしも良く、人麻麿が和歌の神様でもあるのである時期には短歌・俳句関係者の吟行なども多かったようで、神社境内には古い句碑や歌碑なども幾つかある。 さて前号に書いた松ケ崎の2号〜3号にかけて、私の同級生・山根寛治君(迫戸在住)が天満宮境内の石造物という一文を写真入りで連載しているが、天神山にも「大峯山上大権現」の石碑があると写真入りで載っている。場所は天満宮本殿と防長海軍忠魂碑とのほぼ中間で樹木に覆われ見えにくいが、あすなろRCC結成記念碑の西側約50mの位置です。(鈴木宮司の許可を戴いたので、近々、周辺の整備を行う予定。) 最近ある人から明治28年当時の地図を入手した。国分寺はあるが旧多々良高校も競輪場も無い時代の地図で、国分寺の右側から北へ進入し右に迂回し多々良山裾を通り畑に抜ける道が図示されている(現在は天神山側を通っているが)。 私は渋谷会長時代に天満宮・国分寺・毛利邸・阿弥陀寺を訪問例会で訪れましたが、これらが、それぞれ創建される前の近辺の里山はどういう状態だったのかとの想いが沸々と湧いてきます。例えば国庁があるから国分寺が出来た。その頃には天満宮はまだ無いのです。 ある人によると天神山にはスサノオノミコトが祀られており、それが国分寺山・多々良山・雲岩寺山・敷山・矢筈岳から石槌山(真尾)まで修験道の道であったとの説なのです。真言宗密教の修験道の路があったのではとの説を唱える人もおられるので、一度国分寺の福山住職にこれらについてお伺いしてみたいと思っています。 多々良山の大峯山上大権現石碑は国分寺境内の大権現社と関係がありそうです。そして現実に天満宮本殿裏にはお宮・祠が四つあり、その一つは須賀社でスサノオノミコトが祭神と書かれています。鈴木宮司に伺うと、良くわかりませんが、天満宮創建前に領内にあったお宮を天満宮創建時に合祀したのでは…とのお話でした。 明治維新以前は神仏混淆の時代でしたが明治維新以後廃仏毀釈が始まり、神道・仏教が共に信仰されていた明治以前のことを考えると、現存する石碑・鳥居などから祖先の残した信心の足跡が感じられ、信仰が薄れていく現在、残された遺物の伝承に何とか力を注ぎたいと新年にあたり思うのです。 (その後の経過は又の機会に…終)
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