HOFU ROTARY CLUB WEEKLY

 防府ロータリークラブ週報
NO.1029 2011年2月15日

プログラム
点鐘
ソング「それでこそロータリー」
会長挨拶
ゲスト及びビジターご紹介
クラブニュース
各委員会報告
ゲストスピーチ 
「私なりの国際協力」
 元・青年海外協力隊
      松 浦 和 子 様
点鐘

次週例会
◎次週例会 2月21日(月)
   3クラブ合同例会
     場所:防府グランドホテル
     時間:18:30〜20:00
◎2月22日(火) 振替休会

先週の例会
先週の例会2月8日(火)
◎出席委員会報告
  会員数 63名
  出席者 53名 出席率 84.13%
――― 欠席者 ―――
 阿部君 尾?君 澤田(健)君 世良君
 友景君 中谷君 羽嶋君 深野君 福森君
 桝野君
 
――― 事前メーキャップ ―――
 岡本君 田中(文)君 (1/27 防府南RC)
 加藤君 橋本君 村重君… (1/31 防府北RC)
―― 2月1日修正出席率 ――88.88%
 福森君…………(2/7 徳山セントラルRC)
―― 1月25日最終修正出席率 ――98.41% 
◎スマイルボックスご報告(親睦活動委員
 会)
・原 晴一郎君 天満宮の豆まきに、ご奉仕させていただきました。12年前は雪が降りそそぐ、寒い日でしたが、今年は暖かい日となりました。久保田健介氏とご一緒でした。
・鈴木宏明君 防府天満宮節分祭も晴天にめぐまれ無事とりおこなわれました。牛かえ券は当たりましたでしょうか? 福むすめ御奉仕の山口銀行、西京銀行、防府信用金庫の行員の方々ありがとうございました。
・久保田健介君 2月3日、原晴一郎さんと、天満宮節分祭で豆撒きをさせていただきました。天候もよく、参拝者も多く、とても気持ちよかったです。12年後もどこからか、まいもどって来たいと思います。
・水津信之君・神徳眞也君・杉山知行君
  中尾支所長様、今日は楽しい、ためになる話をよろしく御願いします。


クラブニュース
◎2月6日(日)南園元RI理事がグループ2のIM(宇
部西RC引受)にて講演されました。
◎本日例会終了後、2月度理事会を開催いたしま
す。
◎2月13日(日)RCC地区大会(下関西ロータリー引受)
が開催され、防府あすなろRCCより5名が出席
されました。
◎RI第2710地区事務局より、RI第3690地区(韓国
プチョン)地区大会の日程変更の連絡がありま
した。 
   旧 2011年4月22日(金)・23日(土)
   新 2011年4月15日(金)・16日(土)

他クラブニュース
◎例会変更通知
   防府南RC 2月24日(木) 振替休会

寄稿文
37年間の人生を振り返って
        アパホテル<山口防府>
          長 島 英 克
 私は、新人会員スピーチでもお話させて頂きました通り、昭和48年4月に福島県郡山市で生まれました。
 福島県は、山口県から約1,200km離れた東北地方「みちのく」の玄関口に位置しております。県域は東から浜通り、中通り、会津の3地域に大別され、それぞれ異質の風土をもっており、郡山は中通りに位置しております。面積は北海道、岩手県に次ぎ全国3位で、人口密度148人/平方kmと、のどかな場所です。(ちなみに山口県は238人/平方
km) また、会津磐梯山や猪苗代湖、五色沼、尾瀬ヶ原、あぶくま鍾乳洞など、数多くの景勝地が点在し、春は花見、夏は海水浴や湖水浴、秋は紅葉、冬はスキー・スノーボードなどの観光客で賑わいます。
 今の様なゲームなどが無かった時代ですので、幼い頃は友達と虫取りやザリガニ釣りに川遊び、自家製スキー板で自宅の裏山でスキーをしたり自然の中で育ちました。また東京の知り合いが遊びに来た時、地図を片手に様々な所を案内してまわる事が楽しみの一つでもありました。
 その後、両親の都合で埼玉の大宮(現在のさいたま市)で学生時代を過ごし、年に数回福島の親戚へ遊びに行く程度となりましたが、幼い頃過ごした福島での生活が後の人生に大きな影響を与える事となりました。
 福島県人の気質は一般的に「頑固」、そして保守的で生真面目と言われております。私も、生真面目なところがあり「打ち解けづらい」とか「何を考えているかわからない」などと言われる事がございます。
 そんな取っ付きづらい自分の性格を直したい、また人前でもっとうまく喋れる様になりたいと思い、接客業で働こうと決意したのが高校2年の時でした。
 また、幼い頃から地図を見るのが好きで「色々な場所に行ってみたい。」と思い、高校卒業後、添乗員になる為旅行の専門学校に入学しました。
 専門学校の2年間は、山あり谷ありでした。まず、学費を稼ぐ為、奨学金制度で新聞配達を始めました。小・中・高と野球をやっていた事もあり体力には自信があったので、軽く考えていましたが、かなりの重労働でした。朝3時起床で朝刊を配達後、9時から15時頃まで授業を受け、帰宅後夕刊
配達の毎日。特に台風の日、自転車で転倒し、新聞が全てずぶ濡れになり、店長に大目玉を食らった事を20年近く経った今でも鮮明に覚えています。
 そんな中でも、集金に行くと何故か牛乳とどら焼きのセットで毎回ご馳走してくれる優しいおばあちゃんがいたのも印象的でした。また、休日に新聞配達仲間と野球をしたり酒盛りをしたり、恋愛話で盛り上がったり、楽しい思い出も沢山残っています。特に、新聞社から無料でアパートが貸
与され、東京での一人暮らしが経験できた事が、大きな経験となりました。築約40年、6畳一間、風呂無共同トイレ、ゴキブリは勿論、梅雨の時期にナメクジが発生する様な古いアパートでしたが、「自分の城」を初めて持てた喜びが勝り、専門学校の友人を招待し、酒を飲み、将来の夢について
熱く語ったものです。その友人達とは今でも連絡を取り合う仲です。この専門学校で、旅行業取扱主任者の資格を取得し、卒業後千葉県松戸市にある旅行会社に無事就職致しました。小さな旅行会社でしたが、約8年間営業や添乗業務に全力で取り組みました。添乗業務とは、各種旅行に同行し計
画に従ってツアーが安全かつ円滑に施行される様、調整や対応を行うとともに、ツアー客に対する説明や窓口役となる業務です。ただしこれは出来て当然。更にお客様に喜んで頂けるサービスが必要です。面白おかしく説明や案内をして場を和ませたり、様々なお客様のニーズに最大限の対応
をする事で、初めてお客様から添乗員として認めて貰えるのです。案の定、自分の生真面目で人前で喋る事すらままならない性格では、全く役に立ちませんでした。「気が利かねえ添乗員だな〜」「つまんねえ添乗員だな〜」など、クレームばかりの日々で、かなり凹みました。
 そんな自分を変えるきっかけを作ってくれたのがその旅行会社の社長でした。非常に豪快な方で、毎日の様に罵声を浴びながら仕事を一から叩き込まれ、添乗で出張の日以外は、「酒に強くなるのも仕事の一つだ!」とほぼ毎夜、近くの居酒屋やスナックでお酒を飲む日々でした。その社長の「ON OFFの切替えやメリハリ」、「程よい適当さ」がいつの間にか私自身にもうつり、何故か添乗業務もクレームが減りご指名して頂けるお客様も増えて参りました。しかし、残念な事に不況のあおりで旅行会社を退職せざるを得ない事になったのですが、非常に良い経験を致しました。
 退職後、生命保険の営業、OA機器の営業を経て、現在のアパホテルに就職し約4年が経過致しました。
 37年の人生を振り返り、結局のところ、福島県人の頑固さ・生真面目な性格は、まだまだ私の中で息づいております。今後は、そんな自分自身の性格をしっかり受け止め、後ろを振り向かず、自分に自信を持ち、前に進んで行こうと思います。




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