HOFU ROTARY CLUB WEEKLY

 防府ロータリークラブ週報
NO.1219 2012年11月27日

プログラム
ロータリー財団月間
点鐘
ソング「R‐O‐T‐A‐R‐Y」
会長挨拶
ゲスト及びビジターご紹介
クラブニュース
各委員会報告
ロータリー情報
会員スピーチ
 「私のロータリー」
      世 良 廣 治 君
点鐘

次週例会
◎ 次週例会 12月4日(火) 
  年次総会
  ゲストスピーチ
   山口県国際交流室より
    崔 ろ(さい ろ)さん 

先週の例会
先週の例会11月20日(火)

◎ビジターご芳名
 なし
◎出席委員会報告
 会員数55名 出席者44名 出席率80.00%
――― 欠席者 ―――
 井藤君 池永君 尾?君 喜多村君
 友景君 原元君 羽嶋君 弘中君
 藤本君 桝野君 山下君 
――― 事前メーキャップ ―――
 澤田(健)君 柳君
  …… (11/11 会員合同セミナー)
 竹田君 澤田(光)君 中谷君 浴永君
   ………………(11/15 防府南RC)
 橋本君 木野君 松永君
   ………………(11/19 防府北RC)
―― 11月13日修正出席率 ――85.45%
 中司君 杉山君 木野君 加藤君
 松永君
   ………………(11/15 防府南RC)
 倉員君 澤田(光)君
      ………(11/19 防府北RC)
―― 11月6日最終修正出席率 ――92.59%
 尾ア君 原元君 弘中君 藤本君
      ………(11/19 防府北RC)

◎スマイルボックスご報告
    (親睦活動委員会)

・柳井ロータリークラブ 廣實様
   本日はよろしくお願いします。

・松原博幸君・東 佳範君・世良廣治君
・鈴木宏明君・加藤 稔君・片岡謙一君
・兵頭正顕君・河村唯志君
 廣實様、今日はよくいらっしゃいまし
 た。宜しくお願いいたします。

・鈴木宏明君
 来る24日土曜日は御神幸祭裸坊祭です。
  裸坊になる人もならない人もどうぞご 参拝下さい。


クラブニュース
◎11月25日(日)、旧山陽道整備作業が行わ れました。ご協力ありがとうございまし た。
◎国際ロータリー日本事務局より2012年12 月のロータリーレートは、1ドル80円(現 行80円)との連絡がありました。
◎ 2013年6月国際ロータリー年次大会(リス ボン)のご案内がまいりました。第1次集 約日は12月10日(月)です。
◎例会終了後、第2回指名委員会を開催いた します。

◎《11月度理事会報告》(11月20日)
【審議事項】
《12月例会プログラム》
  第1例会  4日 年次総会
       ゲストスピーチ 
        県交換留学生
  第2例会 11日 会員スピーチ
         水津信之君
   認知症、介護を抱える家族への支援
 (地域発展・環境保全・人間尊重委員会)
  第3例会 18日 ロータリー情報
       新会員スピーチ
        新谷一夫君
       (理事会)
  第4例会 25日 夫人同伴夜間例会
《新入会員について》
【協議事項】
《1月例会プログラム》
  第1例会  1日 正月休会
  第2例会  8日 初例会 御題小謡
       年男の弁@ 
   南園君 田中(信)君 東君 新谷君
  第3例会 15日 ロータリー情報
   年男の弁A
     中司君 竹田君 入江君 久保君
  第4例会 22日 ゲストスピーチ
        (社)防府青年会議所
        理事長 中川信広様
  第5例会 29日 クラブフォーラム
        ロータリー理解推進月間
(ロータリー情報委員会)

本日のランチは、奉仕プロジェクトのための特別献立です。

他クラブニュース
 

寄稿文
  「喫茶去(お茶でも召し上がれ)」
        
          弘 中 貴 之
 
 以前研修で、宗派を超えた仏教者の集いである「南無の会」元会長の松原泰道さんのお話しを聞く機会がありました。松原さんは、岐阜県の瑞龍寺で修行された後、臨済宗妙心寺派教学部長を務められた方で、1972年に出版された「般若心経入門」は記録的ベストセラーとなり、第一次仏教書ブームのきっかけを作った方でもあります。その時のお話しが「喫茶去(お茶でも召し上がれ)」という講題でした。その内容をこの度は御紹介したいと思います。
 中国は唐の時代、禅僧・趙州(じょうしゅう)和尚のもとに、一人の修行僧が教えを請いにやって来ました。趙州和尚が、「あなたはここへ初めて来たのか?」と問うと、僧は、「はい、初めてまいりました」と答えました。すると趙州和尚はこう言ったのです。「喫茶去(きっさこ)」……(お茶でも召し上がれ)。またある日、趙州和尚は別の訪問僧にも同じことを
尋ねました。その僧は、「いえ、以前にも伺ったことがあります」と答えましたが、趙州和尚は同様に勧めます。「喫茶去」。このやり取りを見て、不思議に思った寺の住職が趙州和尚に尋ねます。「老師は、初めて来た人にも、以前来たことがある人にも、同じに『喫茶去』と言われました。これはどういうわけですか?」すると趙州和尚はまたしても、「喫茶去」と答えたのでした。
 禅の思想は極めて象徴的で、言句(文字や言葉)を表面的に捉えると解釈を誤ります。「喫茶去」というからお茶にとらわれてしまいますが、趙州和尚は、ここへ初めて来たのか、以前ここへ来たことがあるのかと、未来でも過去でもない、「いま、ここ」を問題にしているのです。「いま、ここでお茶を召し上がれ」と。お茶を飲むということは、日常のありふれた行為です。しかしその日常の行為が、実は禅そのものなのです。お茶を飲むことだけではありません。ご飯を食べること、衣服を着ること、そうした日常のすべてがそのまま禅なのです。
 多忙な現代人は、食事もお茶も、他のことをしながらいただいて「ながら族」になりがちです。しかし、何事も「ながら族」ではいけません。お茶を飲む時はお茶を飲むことだけに徹する。ご飯を食べる時も、衣服を着る時も、ただそのこと一つに徹してすることによって、人生の受け止め方も違ってくる。「喫茶去」とは、そのことを説いているのです。
 自分は回り道をしているとか、自分の本当の仕事は別にあるとか、何事も一時の腰掛けのつもりで手を抜いてやっていると、必ず悔いが残ります。しかし、どんな仕事であれ、その時に全力を尽くしてやったことは、後で必ずプラスになって返ってくるものです。全力を尽くして取り組んでいる限り人生に無駄はない。それは人生において、とても大切なことです。




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