プログラム |
家 族 月 間 点鐘 ソング「我等の生業」 四つのテスト 会長挨拶 ゲスト及びビジター紹介 クラブニュース 各委員会報告 ロータリー情報 会員スピーチ 「私の仕事について」 佐々木 伸治 君 点鐘 |
次週例会 |
◎ 次週例会 12 月16 日(火) クリスマス家族夜間例会 |
先週の例会 |
先週の例会12月2日(火)
◎ビジターご芳名 巨海裕定君 (山口南RC)
◎出席委員会報告 会員数 54名(内、休会2名) 出席者 46名 出席率 88.46% ――― 欠席者 ――― 尾􀀀君 澤田君 林君 松永君 山根(節)君 齋藤君 ――― 事前メーキャップ ――― 渋谷君…………………………(11/26 山口RC) 河村君………………………(12/2 山口県央RC) ―― 11月25日修正出席率 ――86.54% 岡田君………………………(11/27 防府南RC) ―― 11月18日最終修正出席率 ――88.46%
◎スマイルボックスご報告(親睦活動委員会) ・水津信之君・片岡謙一君 西村さん、本日は楽しいスピーチを期待し ています。 ・家本哲夫君・三田浩士君 テニス同好会です。猛暑の8 月から猛練習 でした。予想以上に上達しましたので、来 年度の目標は、市民大会に出場することです。 あくまで予定ですが、選手が足りません。 最低6 人必要ですので、ご協力をお願いし ます。今年度の行事は忘年会だけです。
・西村健治君 本日、卓話をさせて戴きます。マイクはカ ラオケ以外あまり使いませんが、お付き合 い宜しくお願い致します。
・家本哲夫君・久保浩通君・永井晴彦君 ・入江弘幸君・田中信治君・東 佳範君 ・中谷 泰君・竹田健児君・橋本康弘君 ・弘中貴之君・佐々木 崇君・笠原直樹君 ・古閑謙士君・佐々木伸治君 西村さん、本日のスピーチ、よろしくお願 いいたします。いつものように軽快でユー モアを交えた西村さんならではのエピソー ドを楽しみにしております。 |
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クラブニュース |
「アクセスしよう ロータリークラブ・セントラル h t t p : w w w . r o t a r y . o r g / j a」
2014年12月9日 ◎年次総会(12月2日)の選挙結果報告 会長 神 徳 眞 也 直前会長 水 津 信 之 会長エレクト 田 中 信 治 第一副会長 加 藤 稔 第二副会長 中 司 達 美 理事 藤 本 晃 二 理事 羽 嶋 秀 一 理事 東 佳 範 理事 金 田 練二郎 理事 澤 田 健 規 理事 杉 山 知 行 理事 家 本 哲 夫 理事 河 村 􀀀 志 幹事 久 保 浩 通 会計 笠 原 直 樹
◎2015年6月、国際ロータリー年次大会(サンパ ウロ)のご案内が参りました。 開催場所 サンパウロ(ブラジル) 旅行日程 2015年6月4日(木)〜11日(木) 旅行代金 635,000円(2名1室利用) 旅行会社 (株)JTB中国四国呉支店 第1次集約日 2015年1月31日(土)
◎本日例会終了後、12月度理事会を開催致し ます。
本日のランチは、奉仕プロジェクトのための特別献立です。 |
他クラブニュース |
◎例会変更通知 防府北RC 12月22日(月)は、 忘年親睦例会に変更 防府南RC 12月25日(木)は、 忘年家族同伴夜間例会に変更 |
寄稿文 |
防府は、水路で発展した街だ 友 景 昭 隆
自転車を乗るようになり、市内をあちらこち ら走ると、意外な事に気づく。 私は徳地出身であるから、防府はそれなりに 町だと思っていた。つまり文化が先にある町だ と思っていた。 水路沿いにあちらこちらと走り回ると見えて くるものがある。 桑山から西の方自衛隊の間は、巨大な田園地 帯である。通常、道に挟まれているので、気が つかなかったが、道から外れると一気に田園の 中に入ってしまう。 多くの水路があちらこちらを走り、それに合 わせて、古い町が形成され、この街が出来たのが、 よくわかる。 最初に佐波川の治水があり、水路の形成と共 に肥沃な地になり、その後に、天神から三田尻 の町が形成され、海の関係も含めて、発展する 条件を満たしていたのだろうと思う。 水路上に天神町が形成され、町が三田尻に伸び、 こうした川に沿う形に線路が引かれこれほどの 水路が街中で発展しているのは珍しいとも感じる。 しかし、走ってみると、あれっ? と思う所は、 水路を無視した道路が近代になって出来ており、 そのギャップが文化を抑えてきたのだなと、違 和感を覚えるのも、また防府の特徴である。 この水路は、佐波川が氾濫して肥沃な土を防 府に持ってきた後だから、紀元後数百年には形 成されたと考える。その肥沃な土地は、多くの 力を呼び、国府になってきたのだろう。 宮市や三田尻は、まだまだだし、車塚古墳(車 塚古墳が6世紀)もまだ出来てない時代のはずだ と走りながら感じる。特に歴史には詳しくないが、 瀬戸内の海街道ぞいでありながら、肥沃であり、 朝鮮との外交には欠かせない場所であることも、 よく見えてくる。 いろんな天皇家の方々が、この地に足跡を残 しているのは、こうした理由なのだろうか? 水運の発達したベネチアとは違うが、農業水 路の肥沃な地は、権力の力であり、当時の防府 の地が、日本の重要な場所であったと感じながら、 走ってみるのもまた一興である。
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