プログラム |
青少年奉仕月間 点鐘 ソング「R-O-T-A-R-Y」 四つのテスト 会長挨拶 ゲスト及びビジターご紹介 クラブニュース 各委員会報告 地区研修協議会報告A 新旧引継ぎ会 点鐘 |
次週例会 |
◎ 次週例会 6 月6 日(火) ゲストスピーチ 防府商工会議所青年部 会長 土 井 康 徳 様 |
先週の例会 |
先週の例会5月23日(火) ◎ビジターご芳名 なし ◎出席委員会報告 会員数 58名 (内、出席免除2名) 出席者 44名 出席率 78.57% ――― 欠席者 ――― 鈴木君 澤田君 竹田君 久保君 藤本君 片岡君 弘中君 松永君 原田君 林君 守田君 橋本君 ―― 事前メーキャップ ――― なし ―― 5月14日修正出席率 ―― 94.83% ―― 5月9日最終修正出席率 ―― 93.10% 伊藤君 林君…………………(5/17 山口RC)
◎スマイルボックスご報告(親睦活動委員会) ・水津信之君 5 月20 日3 男が結婚式を挙げました。 3 分の1 肩の荷がおりました。 ・田中信治君 創立60 周年記念式典、祝宴、無事終わり ました。皆様のご協力ありがとうございます。 ・喜多村 誠君 60 周年式典・懇親会、皆様お疲れ様で した。 本日所用により欠席しますが、懇親会にて 竹田君と行くプサン旅行の特別賞が当たり ましたのでスマイル致します。 ・神徳眞也君・中村明人君 防府市日韓親善協会総会、昨日皆様のお陰 で無事終了しました。ありがとうございま した。 ・脇 正典君・佐々木 崇君・加藤 稔君 ・伊藤義和君・原 誉顕君・清水 勝君 5/21(日)念願の甲子園にて試合をおこなう ことが出来ました。結果は接戦の末6 対6 の引き分けでした。内容を報告しますと、 一部の選手が野球やめた! と言いかねませ んので今回は割愛させていただきます。 ・山下一之君 7ヶ月の短い間でしたが、田中会長、橋本 幹事始め皆様に大変良くして頂き、感謝の 念にたえません。本当に有難うございました。 |
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クラブニュース |
「アクセスしよう ロータリークラブ・セントラル h t t p : w w w . r o t a r y . o r g / j a」 ◎山下一之君が5月29日を以って退会されま した。 ◎5月18日、防府市役所1号館にて開催された防 府市・モンロー市高校生交流事業第1回 実行委 員会に河村􀀀志君が出席されま した。 ◎5月28日、アスピラートにて防府フィル ハーモ ニーオーケストラ第1回定期演奏 会が開催され ました。 □理事会報告 【審議事項】 1) 6月例会プログラムに関する件 (ロータリー親睦活動月間) 第一例会 6日 ゲストスピーチ 防府商工会議所青年部 会長 土井康徳様 第二例会 13日 会員スピーチ 田中会長 第三例会 20日 最終夜間例会 18:30〜 第四例会 27日 法定休会 ※ロータリー情報 (第二例会) 2) FMわっしょい 出演について (6月16日)(会長、幹事 他) 3) 退会者に関する件 4) 入会者に関する件 5) その他 本日のランチは、奉仕プロジェクトのための 特別献立です。 |
他クラブニュース |
◎例会変更通知 山口RC 5月31日(水)は、職場訪問例会に変更 |
寄稿文 |
米山梅吉と「新隠居論」 廣 政 寛 米山は47才、三井銀行の常務として働き盛り である。 そうそうたる年配者が活躍しているなかで、 この所見である。 「人間は最期までその事業に奮闘すべしという 説もあるとすれば、今は青年の時代なり、老人 退隠すべしと声も低くない」と。 細述は省くが、老人の弊害、日本の隠居と西 洋隠居の相違、隠居者の為すべき事業、元老は 公共事業等をと述べた。 一冊の本として発行されたものではなく、「実 業之日本」という雑誌に掲載されたものである。 このため「幻の新隠居論」などという人もいた という。 米山梅吉の経歴をみると、十一、二年刻みで 順次後進に席を譲って、着実に自説の新隠居論 の実践を行っているのである。52才RC設立、56 才三井信託銀行設立、66才青山学院初等部設立 など。時は既に大正デモクラシーの時代である。 長かった明治も大正となり、維新の元勲達も 次第に世の所を得る機会も少なくなった。長老 ばっこの弊害が目に付きだした。この時期に47 才の米山梅吉が社会各方面の老人株に向かって 隠居することを勧めたのである。 山県有朋は明治の元老である。権勢は、軍部、 政治、経済などあらゆる方面に影響を及ぼし君 臨していた。かの目白の椿山荘は有名である。 山県翁は我が山口県萩の出身である。伊藤博文、桂太郎らと共に王政維新の時、所請風雲に際会し、一大事業を成し遂げた。しかし末期には「ファシスト」「軍国主義者」と評価は落ちていった。 大正11年83才で逝去する。 石橋湛山(後の総理大臣)は「人は適当な時期 に去り行くもの、死もまた一つの意義のある社 会奉仕でなければならぬ」と評した。山県の死 と共に薩長による藩閥支配はほぼ終わったので ある。 是非は兎角として米山梅吉の勇気におどろか され、胸が高鳴るのである。 |
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