HOFU ROTARY CLUB WEEKLY

 防府ロータリークラブ週報
NO.1642 2017年5月30日

プログラム
青少年奉仕月間
点鐘
ソング「R-O-T-A-R-Y」
四つのテスト
会長挨拶
ゲスト及びビジターご紹介
クラブニュース
各委員会報告
地区研修協議会報告A
新旧引継ぎ会
点鐘

次週例会
◎ 次週例会 6 月6 日(火)
  ゲストスピーチ
     防府商工会議所青年部
       会長 土 井 康 徳 様

先週の例会
先週の例会5月23日(火)
◎ビジターご芳名
 なし
◎出席委員会報告
 会員数 58名 (内、出席免除2名)
 出席者 44名 出席率 78.57%
――― 欠席者 ―――
 鈴木君 澤田君 竹田君 久保君 藤本君 
 片岡君 弘中君 松永君 原田君 林君
 守田君 橋本君
―― 事前メーキャップ ―――
 なし
―― 5月14日修正出席率 ―― 94.83%
―― 5月9日最終修正出席率 ―― 93.10%
 伊藤君 林君…………………(5/17 山口RC)

◎スマイルボックスご報告(親睦活動委員会)
・水津信之君
  5 月20 日3 男が結婚式を挙げました。
 3 分の1 肩の荷がおりました。
・田中信治君
  創立60 周年記念式典、祝宴、無事終わり
 ました。皆様のご協力ありがとうございます。
・喜多村 誠君
  60 周年式典・懇親会、皆様お疲れ様で
 した。
  本日所用により欠席しますが、懇親会にて
 竹田君と行くプサン旅行の特別賞が当たり
 ましたのでスマイル致します。
・神徳眞也君・中村明人君
  防府市日韓親善協会総会、昨日皆様のお陰
 で無事終了しました。ありがとうございま
 した。
・脇 正典君・佐々木 崇君・加藤 稔君
・伊藤義和君・原 誉顕君・清水 勝君
  5/21(日)念願の甲子園にて試合をおこなう
 ことが出来ました。結果は接戦の末6 対6
 の引き分けでした。内容を報告しますと、
 一部の選手が野球やめた! と言いかねませ
 んので今回は割愛させていただきます。
・山下一之君
  7ヶ月の短い間でしたが、田中会長、橋本
 幹事始め皆様に大変良くして頂き、感謝の
 念にたえません。本当に有難うございました。


クラブニュース
 「アクセスしよう
   ロータリークラブ・セントラル
      h t t p : w w w . r o t a r y . o r g / j a」
◎山下一之君が5月29日を以って退会されま
 した。
◎5月18日、防府市役所1号館にて開催された防
 府市・モンロー市高校生交流事業第1回
 実行委 員会に河村􀀀志君が出席されま
 した。
◎5月28日、アスピラートにて防府フィル
 ハーモ ニーオーケストラ第1回定期演奏
 会が開催され ました。
□理事会報告
【審議事項】
 1) 6月例会プログラムに関する件
  (ロータリー親睦活動月間)
  第一例会  6日 ゲストスピーチ
          防府商工会議所青年部
          会長 土井康徳様
  第二例会 13日 会員スピーチ 田中会長
  第三例会 20日 最終夜間例会 18:30〜
  第四例会 27日 法定休会
   ※ロータリー情報 (第二例会)
 2) FMわっしょい 出演について
        (6月16日)(会長、幹事 他)
 3) 退会者に関する件
 4) 入会者に関する件
 5) その他
本日のランチは、奉仕プロジェクトのための
特別献立です。

他クラブニュース
◎例会変更通知
 山口RC 5月31日(水)は、職場訪問例会に変更

寄稿文
     米山梅吉と「新隠居論」
         
            廣 政   寛
 
 米山は47才、三井銀行の常務として働き盛り
である。
 そうそうたる年配者が活躍しているなかで、
この所見である。
「人間は最期までその事業に奮闘すべしという
説もあるとすれば、今は青年の時代なり、老人
退隠すべしと声も低くない」と。
 細述は省くが、老人の弊害、日本の隠居と西
洋隠居の相違、隠居者の為すべき事業、元老は
公共事業等をと述べた。
 一冊の本として発行されたものではなく、「実
業之日本」という雑誌に掲載されたものである。
このため「幻の新隠居論」などという人もいた
という。
 米山梅吉の経歴をみると、十一、二年刻みで
順次後進に席を譲って、着実に自説の新隠居論
の実践を行っているのである。52才RC設立、56
才三井信託銀行設立、66才青山学院初等部設立
など。時は既に大正デモクラシーの時代である。
 長かった明治も大正となり、維新の元勲達も
次第に世の所を得る機会も少なくなった。長老
ばっこの弊害が目に付きだした。この時期に47
才の米山梅吉が社会各方面の老人株に向かって
隠居することを勧めたのである。
 山県有朋は明治の元老である。権勢は、軍部、
政治、経済などあらゆる方面に影響を及ぼし君
臨していた。かの目白の椿山荘は有名である。
 山県翁は我が山口県萩の出身である。伊藤博文、桂太郎らと共に王政維新の時、所請風雲に際会し、一大事業を成し遂げた。しかし末期には「ファシスト」「軍国主義者」と評価は落ちていった。
大正11年83才で逝去する。
 石橋湛山(後の総理大臣)は「人は適当な時期
に去り行くもの、死もまた一つの意義のある社
会奉仕でなければならぬ」と評した。山県の死
と共に薩長による藩閥支配はほぼ終わったので
ある。
 是非は兎角として米山梅吉の勇気におどろか
され、胸が高鳴るのである。




[ 戻る ]